こんにちは、ルレムラ(@luremura)です。
女性の皆様、スカートをはきますか?特定の国や人を除けば、基本的にスカートをはくのは、女性が大多数ですよね。
今回は、私がスカートをはくのが恥ずかしくなった話と、スカートにまつわる自意識のお話です。
デートにデニムをはいて行ってガッカリさせた女
その昔、男性とはじめてデートをしたときのこと。
私は、まったく服装のことを考えず「動きやすい恰好」で待ち合わせ場所に行きました。
その時の私の服装です。
- グレーのTシャツと黒のロンTの重ね着
- ネイビーのデニム
- ネイビーのスリッポン
今振り返っても、なかなかヒドイ。
全体的に暗めのトーン、女性らしさのかけらもない恰好。
もしタイムマシンに乗れるのなら、このオナゴのところに詰め寄って訊きたい。
「貴様ァッ!デートをなめてるのかァッ!!」
と。
相手の男性はそんな私の姿を見るなり、ためらいがちに一言。
…スカート、はかないの?
私はこのとき、自分が何か大きなミスをしたのではないかと、うっすら気付いたのですが、それを「気のせいだ」という力技でねじ伏せました。
それからしばらく経ち、私の耳にも世の様々な情報が入ってくるようになった頃、
そうか、男性はスカートに女性らしさを感じるものなのか…
ようやく相手の男性が何を求めていたのか気付きました(遅
私がどんなにパンツスタイルが好きであっても、せっかくのデートで服装で喜ばせる気遣いがないのは相手にも申し訳なかったと思う。「全体的に暗いトーンでデートに行った」ということも含めて。
…アレ?失敗した?
気付いたときは後の祭りでした(ご想像にお任せします)。
私がスカートをはくのが恥ずかしくなった理由
その後も、デートの度に「スカートをはかないと!」と思っていても、パンツスタイルのままでした。
ここで本題。なんで男性とのデートにスカートをはいて行かなかったのか。
はくのが恥ずかしいからです。
結局、普段からスカートをはく習慣がないですし、パンツのほうが慣れてて楽ちんなのです。
果たして、いつからこうなったんでしょう?
自分史を探ってみました。
幼い頃はスカート好きで恥ずかしくなかった
保育園児のころの写真を見ると、私はヒラヒラのスカートばかりはいていますし、むしろパンツスタイルが嫌だった記憶があります。
この頃は、スカートをはくことにまったく抵抗がありませんでした。
スカートに芽生える自意識
時が経ち、小学生の高学年のころのこと。
そのころって、来たる中学生の黒歴史思春期に突入するにあたり、妙な自意識が芽生えませんか?
自意識、それはときとして余計なもの…
私はこのとき芽生えた自意識に負けてしまい、自分の見た目に敏感になってしまいました。
やがてそれは「私なんぞがスカートなんてはいていたら、周りに笑われるのではないか」という意識に変わっていきました。
この頃、服装も完全にパンツスタイルにシフトチェンジしたのでした。
制服のスカートも恥ずかしくて嫌だった
自意識に引きずられたオナゴは、そのまま中学、高校の制服を着ることになります。
周りの女の子が文句も言わずにスカートをはいているのに、
私はスカート嫌なのに、どうして女はスカートをはかなくてはいけないんだろう?
と思っていました。
ヒラヒラ、スースーするスカートが嫌になっていました。このときの影響で、就職活動の時のスーツもほぼパンツスタイルでした。
スカートが恥ずかしい=「似合わない」自意識
最終的に、自分の利便性にそぐわなかったためにスカートをはかなくなっていましたが、自意識を掘り下げていくと、見えてきたものがありました。
こんな感じ。
↓
「私にスカートは似合わない」
↓
「私みたいなのがスカートをはいているのを見て、人はどう思うだろう」
↓
「恥ずかしいし怖い」
↓
「スカートは恥ずかしくて怖い。でも、パンツなら恥ずかしくないし怖くない。さらに、ラクだし動きやすいからいい」
(なんで「女性らしい恰好が似合わない私」になってしまったのかは、また別のお話になってしまうので割愛。)
ところで、あらためて自意識ってなんぞや?
自分自身についての意識。周囲と区別された自分についての意識。自己意識。(goo辞書より)
私は この意味を読んで、自意識とは、外から自分を見たときの、
「自分と外界を分けるときに生まれる意識。形。」
「自分が自分自身に『こういうもの』と思い込ませているもの。」
と、解釈しました。
「女性らしい恰好が似合わない私」による、思い込みが見えてきました。
「女性らしい恰好が似合わない私」の、思い込みのフタが外れる
自分の自意識にがんじがらめになっていた私。「女性らしい恰好が似合わない私」の思い込みのフタが外れるきっかけは、氷解のごとくでした。
年頃になると、私も周りの女の子たちに合わせて、女性らしい恰好をしようと奮闘をはじめます。
と言うより、それまで全くオシャレの技術を磨いていなかったので、さも「私も、フツーにおしゃれができるようになりましたよ」と背伸びをはじめたのですね。
マスカラのエピソードや、
ピアスのエピソードですね。
本音を言うと、私がお化粧とか服飾関係の記事を扱うことに、いまだに違和感があります。
私は技術を磨こうとしつつ、内心「私は女性らしい恰好が似合わない」と思い込んでいたので、いつ人から笑われるものかと、内心ビクビクしていました。
でも、私の恐れに反して、誰も笑ったりしませんでした。
私は、自分が「太っている」とか「醜い」とも思い込んでいたのですが、いざちゃんと見た鏡の中の自分は、特別太っているわけでもなく、醜いわけでもなく、普通の姿をしていました。
「ひょっとして『女性らしい恰好が似合わない』ことないのかな」と、次第に思うようになります。
それからまた数年を要しますが、自分の外見をもっと客観的に見れるようになった頃、
そうか、私は女性なのだから、女性らしい恰好をしても、誰からも文句は言われないんだ
と、気付きました。
当たり前の事なんですが、ここまでたどり着くのに人の倍時間がかかりました。
結果的に、背伸びしておしゃれをしようとして、その過程で色々気付けたのが良かった。
まさに、これらの気付きは氷が解けていくようでした。
スカートへの憧れが芽生えてもいい
女性らしい恰好をしてもいい、誰にも笑われないのだと気付くと、自然とスカートにも憧れるようになっていきました。
ただ、今も感覚としては「私という人間が、女性の恰好をして楽しんでもいいんだ」が正しいのかもしれません。
女性の恰好をあくまでコスプレとして、外側から私を見ている感覚に近いです。
なぜなら、パンツスタイルがやっぱりラクだし、基本的に好きだから。
でも、別に女性らしい恰好に憧れても構わないわけです。スカートをはいて外に出て行って良いんです。
いつかスカートが恥ずかしくなくなる日を夢見て
スカートをはく以上、ストッキングをはく習慣も身に付けなくてはいけないな。
夏場は無理ですが、秋から冬にかけて、意識してスカートをはいていきたいです。
デートでなくても、スカートを日常的にさらりとはけるようになること。
いつか、スカートが完全に恥ずかしくなくなる日を夢見て…。
3年後の2020年、続きのようなものを書きました。ほぼずっと、夏にデニムしかはかなかったお話。
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