こんにちは、ルレムラ(@luremura)です。
劣等感シリーズ。前回から引き続き、「人の言っていることがすぐに理解できずに、ずっと頭が悪いと思って生きていた」話です。
前回はこちら。
今回は、そもそも私が「人の言っていることがすぐに理解できない」と気付いた出来事について触れます。
「人の言っていることがすぐに理解できない」と気付いた小学生のときの出来事
そもそものはじまり、私が「人の言っていることがすぐに理解できない」と気付いたのは、小学1年生の授業でのことでした。
この時分は、まだハッキリと自分の性質についてよくわかっていないころ。
そんな当時の私の担任は、30代後半の女性でした。
今思えばよくわかるんですが、この先生、ややヒステリックな人でして。
どうでもいい話(いや、よくない)ですが、学校の女性の先生って、けっこう短気な人や感情的な人が多くなかったです…?
まぁ、大人の苦労も何にも知らない子どもの相手をしてたら、そりゃイライラしますよ。今だから本当によくわかるんですよね。とても大変なお仕事だと思う。
話を元に戻しますと、学校で文集や冊子を作るときに、皆で机を並べて、印刷した紙を机の上に置き、それを順番に取って…みたいな覚えありません?
その作業をするにあたり、教室の前で先生が指示を出していました。
〇〇をして△△で~…
…
恐らく、先生はこのとき、「どこそこからどこそこは机を動かして~」みたいなことを言ってたんだろうと思うんです。
ところがどっこい、私は、
(……え? どういう意味??)
先生の言っていることがよくわからなくて、一人混乱。
ちゃんと聞いていたにもかかわらずに、です。先生の説明が、なんだか要点を掴めなかったのですね。
このとき、周囲を見渡すと、みんな先生の指示を理解できて、動きだしておりました。
私は、
え!…みんなあれでちゃんと分かるんや!!(土佐弁)
と、驚愕。
だって私の耳には先生の指示が、「何をどうすればいいのか」が、よく分からなかったんですよ。
この先生、決して声が小さいとかではなく、ハッキリと指導できる人でした。
なのに、クラスメイトの中で、私だけよく理解できなかったという…。
でもこれって経験あるかもしれませんが、授業中とか「質問ある人―?」と聞かれて、堂々と手を挙げて質問できます?私はこれができなくって…!
周囲の流れに流されてしまいます。
しかも、
あれ?これってなんだかよく分からない部分があるんだけど、何が分からないのか自分でもよく分からない
みたいなのもありました。
明らかに違和感があるのに、何が分からないのかすぐに言語化できなかったという。
なので、とても「先生、よくわからなかったのでもう一度教えてください」と聞けるわけもなく。
仕方がないので、不安な気持ちを抑えつつ、理解できた情報だけを頼りに動いたところ、
この、ヒステリックな先生の逆鱗に触れてしまいます。
先生の「余計なことをするんだったらやめて!」の言葉
生徒の行動を見ていた先生は、一人、周囲と違う行動をする私を見つけます。
すると、
「余計なことするんだったらやめて!」
と、一喝。ひっ、ひぃぃ…!
私の取った行動は、明らかに間違っていたのでした。ちゃんと理解できずに動いていたわけなので当然なのですが。
そして、このときの出来事が私に生まれてはじめての認識を与えます。
それが、
もしかして私って、人の言っていることがちゃんと理解できない…?
だったのでした。
そしてそれは私の中で、
「すぐに理解できない」
↓
「私は普通の人よりも頭悪い」
という、図式にもつながってしまったのでした。
その後のことを思えば、こんなふうに思わなかったら良かったのかもしれない。
しかしこれははじまりに過ぎず。
その後、事あるごとに「人の言っていることがすぐに理解できない」で苦しめられることになったのでした。
「周りのみんなは先生の言ったことが理解できているのに、どうして私は理解できないんだろう?」
このときの出来事を通じて私の中には、
周りのみんなは先生の言ったことがちゃんと理解できているのに、どうして私は理解できないんだろう?
という気持ちが残りました。
当時、小学1年生のときの私がここまでハッキリと言語化して捉えていたわけではありません。しかし、漠然とした不安と疑問があったのは事実。
「みんな何かのマイノリティ」なんていいますが、もしもその当時、その言葉を知っていたら、「私も何らかのマイノリティなのかも」と、気付けたのかもしれません。
「そうか、そういうこともあるのか」と知っているだけで、人生まったく違ってくるんですがね。
そして、「周囲の人が普通にできていることが、自分には、『できない』ことがある」と、分かったきっかけにもなったのでした。
しかもそれが何年間も尾を引くうえに、歳とるごとに増えていくなんてね…
言っていることがすぐに理解できなかった数々の出来事
その後も、漠然とした不安と疑問を抱えながら生きていた自分。「人の言っていることが理解できない」は、当然、学校やアルバイト、仕事にと、さまざまなところで支障をきたすように。
支障をきたした代表的な出来事たち。
- 小学生のときの「割り算のひっ算」が理解できず、父親に教えてもらってもよく分からず、しまいに「お前は本当にバカだ!」と怒鳴られる
- コンパニオンの仕事をしているとき、上司から「しっかりしろ!」と怒られる
- 上司の説明が何度されても理解できず、「言ってること分からんかえ?(土佐弁)」と呆れられる
- 上司から運送屋に電話するように言われるが、指示内容の要領が掴めず、運送屋のお兄さんにしつこく聞いた結果、キレられる
- レジの扱い方の説明が理解できず、2回目聞いても理解できず、もう聞けなくなってしまった
- パーソナルカラーの先生の説明がよく分からず、黙って考えていると、「怒った顔をするな!」と逆切れされる
「割り算のひっ算」は、一人で地面に書いて考えていたときに急に理解できました。「レジの扱い方」は、そこの会社を退職するまで「絶対にレジを閉める係が来ませんように…!」と祈っていました
全部真面目に聞いてて、メモを取っているものもあるのにね。
これらの出来事、ちょっとネタとして書きたいくらいです(いや、書けるほど内容に密度ある?)。他にもいろいろある。
ちなみに、親から「バカだ」と怒鳴られた話は、この「医師のつくった頭のよさテスト」の記事で最後のほうに少しだけ触れています。
あと、パーソナルカラーの先生というのは、この記事で出てきた「1人目の先生」のこと。
とても勉強にはなったのですが、関わっていると心が傷だらけになりそうだと感じ、関わるのをやめました。
こういった出来事から、人の言っている意味を理解しようとすればするほど、余計委縮し、確認を取ることも怖くなってしまったのでした。
学校の授業はなんとか乗り越えられたけど、アルバイトや仕事、お客さんの電話などだと、怖くて仕方なく、地獄でした。典型的な仕事のできない奴なのでした。
しかし、周囲に「私は、実は言っていることがうまく理解できないんです」と、言うわけにもいかず。そんなことを言うのは、甘えだとも思っていたのですね。
と、また長くなっちゃったので、次回続きます!
つづき↓ 「人の言っていることがすぐに理解できないのに、なぜ聞き返さないのか?」について。
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