こんにちは、ルレムラ(@luremura)です。
いきなりですが、仲の良かった友人と縁を切ったことありますか?
私は、「話を聞くときの態度」にモヤモヤが募り、仲の良かった友人と縁を切ったことがあります。
それだけで縁を切っちゃったの?
と、言われそうですが、この「話を聞く」が、けっこう根深いところで影響しているな~と気付きまして。
そこで、「誰だって人の話を聞くよりも自分の話を聞いてほしいんだ」と強めに感じた人が何人かいたので、シリーズにして書いていきます。
今回はその第一弾、「縁を切った友人」のお話です。ではいきましょう!
【縁を切った友人】雄弁で好奇心にあふれ行動力のあった人
今回の主人公、縁を切った友人を仮名で「庚(かのえ)さん」とします。
庚(かのえ)とは、占いの四柱推命で陽の金を表す言葉。イメージは「大きな刃物」
「大きな刃物」というわけですから、まぁ、それなりの人をイメージしていただければと思います。同世代の女性です。
庚さんとは、いろいろありまして、お互いが高校生のときに出会いました。
さて、この庚さんなんですが、こんな感じの人でした。
- 雄弁
- 好奇心旺盛
- 行動力がある
- 日本より海外志向
- 外向的
- 自己顕示欲が強い
- プライドが高い
- 神経質なところがある
- 感情で動くところがある
- 気が短い
- 鼻っ柱が強い
- 私とは対照的な家庭環境で育つ
- 人にものを教えるのが好き
私が生命線の細いタイプの神経質なら、庚さんは生命線の太いタイプの神経質でした。
庚さんは、理詰めで問い詰めて、負けん気が強く、感情で動くところがありました。こちらの「白パン」さんこと、勤め人時代に怒らせた男性と似たところのある女性でしたね。
庚さんとは私と正反対のタイプでしたが、不思議と気が合いました。(今思えば、気が合ってたような気がするのかしら…。)
そんな庚さんからは良い刺激を受けましたし、庚さんもよく私のことをよく遊びに誘ってくれました。
まぁ、庚さんと私は至って良好な関係だったわけですね。
庚さんは私の知らない話をしてくれましたし、話をするのもうまかった。
私はよく庚さんの話を聞く側に回ることが多かった。そして、庚さんのする話は興味深くて面白かった。私も庚さんの聞き役に回るのは苦痛ではありませんでした。
私はいつも彼女の話を「うん、うん」と興味深く聞いていたわけです。
そう、そこまでは問題なかったんですよ。
友人と縁を切った理由は「こちらの話を聞く態度」へのモヤモヤ
庚さんと付き合いが長くなるにつれて、次第に私は「ある違和感」にさいなまれるようになります。
「ある違和感」とは、庚さんの会話中の態度でした。
会話って、ずっと聞き役に回っていると面白くない。自分の話もしたくなるもの。
なので、彼女がひとしきりしゃべった後は、私も自分のしたい話をするわけです。
しかし、私が話しているときの庚さんの返答はこんな感じ↓
○○で△△が□□でね~
ふーん
○○が■■だったから、私は▲▲と思ったんだよ~
へぇ
(以後、ほぼ同じような調子。)
…(え、なんか返し方冷たくない?)
私が話しているときの庚さんは「ふーん」「へぇ」の返答ばかり。でも、自分が話しているときは熱心に話す。
自分が話しているときとの熱量の落差よ…!
相手の態度に知らないうちに傷付いていた
「ふーん」「へぇ」で返す人は世の中いますし、そういう返し方をする家庭で育ったのだろうと思っていました。
でも、こっちが一生懸命話しているのに、相手の返答が「ふーん」「へぇ」ばかりの返答だとどうです?なんか…話す気無くしません?
私と話してもつまんないのかなと、自信喪失です。
神経質で人の倍以上傷付きやすい私は、そんな庚さんの態度に、自分でもよくわからないうちに傷付いていたのですね。この違和感に家に帰ってずっとモヤモヤ。
「『ふーん』『へぇ』で返されて傷付いている」けど、向こうにとっては普通だから仕方のないこと…と思っていたけど、事実、こっちは傷ついているのですよね。
自分の話をしたいならこっちの話も聞いてほしい
私は、友人が話しているときは、つまらなそうにしていたら悪いので、できるだけ相槌を打ったり、話を促すように言葉を発しています。
相手に「あなたの話はきちんと聞いてますよ」と、メッセージは送るようにしている。
ましてや、さっきまで自分の話を聞いてもらっていた相手ですよ?
私は、話し下手なので、おそらく庚さんにとって面白いと思える話をしていなかったのでしょう。
でも、自分の話をしたいなら、相手の話もちゃんと聞くのがせめてもの礼儀じゃないですかねぇ…。
もちろん、庚さんは全部が全部そんな態度をしていたわけではありませんでした。彼女にとって、興味のありそうな話だと喰いつきがよかった。
が、「え、この類の話を『ふーん』で返す?」と、感覚の違いを思い知る出来事もありました。
次第に、私の中で「庚さんに話をしても受け入れてくれなさそう」と思いが大きくなっていきます。
会いたくなくなって、友人と縁を切る
次第に庚さんに対して「話を聞いてくれない人」と思うようになます。誘いを断りはじめ、最終的に縁を切りました(嫌になると引きこもるタイプ)。
まぁ、彼女と縁を切りたくなったのは、私のうっかり発言ミスで怒らせて理詰めで思いっきり切られたり、それ以外にも理由があったんですが。
私の中で、
「この人は、自分の主張を聞いてもらえたら、もうそれでいいんじゃないのか?」というイメージに結びついてしまった。
そして、残念ながら、私の中でもそのイメージを払しょくすることができなかった。
庚さんにとって、「自分の話を聞いてくれるのに丁度いい人」が私だったんじゃないかと。
ちなみに、縁を切ってからしばらく経ったころ、庚さんとの会話の件を母に話したところ「それはあんたのことを下に見てるのよ」と言われてハッとした。
というのも、庚さんの「ふーん」「へぇ」の返答が、昔勤めていたブラック企業の社長の、
「自分が雄弁に語り満足した後、部下の話にめんどくさそうに返答」しているときのトーンに似ていたのを思い出したから。
賢い彼女が、「相手に示すべき態度」を判断できないほど、愚かだったとは思えないのですね。
「この人にはこんな態度でいても、怒らないだろう」と、無意識に思っていたのかもしれない。
人は「人の話を聞くより、自分の話を聞いてもらいたいんだ」と気付く
さて、この縁を切った友人の出来事から数年経っていますが、その後も別の人を通じて「自分の話を聞いてもらえない」出来事がいくつかありました。
そんなとき、このときの庚さんとのことも芋づる式に思い出されます。
そこで、ひとつ腑に落ちた真理があります。それが、
「誰だって、人の話を聞くよりも、自分の話を聞いてほしい」
「話し役よりも聞き役になろう」の情報レベルで知ってはいましたが、「腑に落ちるレベル」となると別次元。全人類に通じる真理。
というのも、この庚さんとの出来事以外にも、会話で感じた違和感のモヤモヤの原因を突き詰めると、「自分のしたい話を聞いてもらえなかった」が原因だったからです。
そう、みんな自分のことを受け入れてもらいたいのです…。
結論「自分の話を聞いてほしかったら、相手の話もちゃんと聞こう。でないと(場合によって)縁を切られる」
結論として、
「人の話はちゃんと聞こう。でないと、自分の話を聞いてくれる友達なくす」
今だったら「ああ、庚さんはこういう人なんだな」と思って、「じゃあ、いいところだけ見て、自我は2、3割にして付き合おう」と割り切れたかもしれない。
でも、自分のことを思うように話せないストレスもあるし、自信も無くすからなぁ。あ、やっぱ無理だ。
やっぱり、楽しそうに、興味深そうに聞いてくれる人がいいよ。
日頃、相手に聞き役になってもらってばかりの人よ、私みたいに急に縁を切る人間もいるから気を付けようね…!
次の「相談するはずが聞き役になっていた話」はこちら。
この庚さんの件から鑑みて、友人に怒りを伝えて人間関係が破綻したお話がこちら。うまくいかないものだなぁ。
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